法雲寺について
~法雲寺略史~
法雲寺の地は 昔 太政大臣藤原兼家が正暦二年(991年)に建立した法興院の南側にあった庭園の池の跡である。法興寺が焼失した後は、荒れ放題となり、いつしか森のようになってしまったという。
応仁元年(1467年)応仁の乱が起き、当地も合戦場となった。京の都も世情が荒れ、当地には鬼が現れると人々に恐れられた。
永禄10年(1567年)源蓮社然譽上人が鬼を鎮め、乱れた人の心の為にとこの地に庵を結んだのが法雲寺の始まりである。後、上人は迷霊の解脱、諸人の安堵の為に日課念仏に勤めた。
慶長9年(1604年)上人は、法雲寺再興中に遷化(せんげ)。
元和2年(1616年)二世本蓮社源譽上人により法雲寺が建立される。これより清水庵(しみずあん)より正式に清水山洗心院法雲寺と号した。この後、河原町通りも整備され町も栄えるようになった。当地の町名を清水町というが、これは、法雲寺の山号に由来するものである。
天明8年(1788年)大火により消失。
文化15年(1819年)18世海蓮社賢譽上人により再建される。再建中、老夫婦より清水寺と同じ姿の観世音菩薩の寄贈を受け、観音堂の並建の件が由来記にあり(福寿観世音菩薩と称す)。
又、修経者が訪れ境内中に聆乃霊石を発見し、これも並建したとあり。以後、元治元年(1864年)の大火にもまぬがれ現在に至る。
概 要 Overview
山 号清水山洗心院
宗 派浄土宗
住 所京都府京都市中京区河原町通二条上る清水町364-1
電 話075-241-2331
(拝観料 無料)
本 堂 Main Hall
歴 史 History
関白太政大臣だった藤原兼家公の邸宅二條第があった場所
兼家公の出家後、邸宅跡に法興院(ほうこういん)というお寺を建立
再建を何度か繰り返す。鎌倉時代、法興院は廃絶。
応仁の乱
源蓮社然誉上人が、清泉のみが残っていた当地に草庵を結んだのが法雲寺の始まり
本蓮社源誉上人により堂宇が建立
天明の大火で焼失
海蓮社賢誉上人により再建
8月18日の政変後、長州藩士・久坂玄瑞(1840-1864)が当寺に謹慎させられる
菊野大明神の御堂を改修